裏庭農場の始め方

この郊外居住者は、まだらに生えた雑草を食べ物に変え、実入りの良い裏庭農場を作り上げた。

 

文:マイケル・ブラウン (Michael Brown)

翻訳:大本 清子

 

私たち家族がニュージャージ州中部の郊外に引っ越した時、大きな裏庭には多種の木々が点在し、家を囲むフェンスに沿って野放図に生垣が生い茂っていました。確かにサッカーをするには良いが、それ以上ではありませんでした。子供たちは裏庭で遊ぼうとはしたが、そこは自然や植物学の即興の授業を提供したり、虫や鳥達の住処となるような、ワクワクする所ではありませんでした。そこは雑草が生えるため、定期的に手入れをしなくてはいけないのに、その見返りは何もない、砂漠と言えるものでした。変えるために何かが必要でした。

 私は裏庭の小さな一角を、野菜畑と数本のイチジクの木で小さな農園に変えることを始めました。今、ほぼ15年が経ち、私の1/3エーカーの裏庭は全て、生産的で利益を生む、郊外にある農園となりました。

 私たちがこれより広大な土地を手に入れることはないだろうと思った時、食べ物を作る庭を発展させ、郊外の農園にすることを決意しました。私たちは二人とも仕事のために通勤する必要がありました。家族を養う手助けのため、私は学校司書として働き、収入を得る必要がありました。

 私たちが郊外の農園を立ち上げるために行った、最初の2、3のステップは、法的な経営上のものでした。私は行政区の郡区に電話し、どういう制約が私に起こり得るか聞いてみました。その返事は「もし誰も文句を言わないなら、構いませんよ。」というものでした。静かで礼儀正しい近所の人たちは、私たちにやる気を与えてくれました。私たちの次のステップは法人化でした。私は有限責任会社(LLC)にすることを選びました。私は保険に入る手はずを整え、いくつかの書類に必要事項を記入しました。そうして準備は整いました。

 私の庭は、色々な変化を経ました。私は固定種のトマト、スクワッシュの花、ハーブ、豆の新芽、ケールといった、需要がありそうなものは何でも育てました。農園は数年に渡り、利益を出せましたが、結局私は、大規模農園が生産する、多種、大量の野菜と競争するのは難しすぎると判断しました。私は、多数の、文化的に多様な人口に近接している小規模生産者としての強みを生かせる何かを探す必要がありました。

 私が最終的に選んだモデルは、小さなスペースで育苗ができ、ベリーの生産とも一緒にできる作物を育てるというものです。これで学校司書のフルタイムの仕事をしながら、小規模農家として定期的に2万5千ドルをかせぐことができる。学校に雇われている人間が楽しむ、自由になる夏の期間は、農園経営を一番助けてくれる。私はこれを要求の厳しい企業に職を得ながらできるとは思えませんが、このモデルは時間の融通がきく人、パートタイムで働いている人、場合によっては無職の人たちに向いていると思います。ここに至るまで、私のおかれた特有の状況とマーケットをいつも意識しながら、自分の農園を正しい方向に向かうように自分を仕向けるためのガイドラインをいくつか発展させてきました。

 

私の農園のガイドライン

 これが私が自分の郊外の農園を運営するために定めた、4つのガイドラインです。

 時は金なり。私は一人で働く。ニュージャージー州で法を守ってパートタイムであっても雇うとすると、とてもお金がかかる。だから私の時間に見合うものを生産する必要がありました。1つ挙げると、私はアルパインストロベリーを育てていましたが、それはとても小さくて驚くほど美味しく、香りが良い。これはとても利益を生みますが、摘む時間を考えて価格設定をする必要があるので難しかったです。

 何か特別なものを育てる。私の地域で一般的に栽培可能なものではない、何か新しい収穫物に挑戦しようとする時は、少し慎重になる。誰か挑戦したけれど、この土地に合わなかったり、需要がなくて失敗したのでしょうか?もし前者が原因なら、私はその人たちよりもっとうまく、もっと成功することができるのか、後者が原因なら、私はどうやって新しいマーケットを作るか考える必要があります。

 シェフに希少価値の高い生産物を提供することは、強みを増す。取り組んでみよう。大規模生産者に比べて、小規模生産者と取引するのは、手がかかる。私の取り扱うものには限りがあるので、シェフは私と一緒に働きたいと思わなくてはいけません。私は彼らが他では手に入らないものを提供する必要があります。

 ニッチなマーケットを見つる。しっかりしたバックグラウンドを持つ人々の近くに居ることは、新しい収穫物を試みるという可能性を生む。私の地域に、まだ知らない、特定のグループの需要はあるでしょうか。とてもニッチなマーケットでも、よい報酬を得ることは可能です。例えば、ロシア系やヨーロッパ系やブリテン系の人たちは皆、グーズベリーを食べて育ちました。おそらく彼らの祖父や祖母のコテージにはグーズベリーがなっていて、彼らは一緒にそれを摘んだ懐かしい思い出があるかもしれないし、もしかしたら彼らの母親はとても美味しいグーズベリージャムを作っていたかもしれない。そんなグーズベリーを提供することができたら、彼らの記憶をよみがえらせる手助けができるでしょう。

 日持ちのしないものはあなたの友達。なぜなら私の客は近くに居るから。1時間以内の距離で、しょっちゅう会う人たちに、私はとても早く収穫物を届けることができます。繊細な商品は、高度に新鮮な状態を保ったまま、長距離輸送で届くことはありません。ある種のベリー類はたった1日くらいでその艶を失い始める。近くのマーケットに提供することで、痛みやすい商品の競争相手は、かなり減る。例えば、私はエルダーフラワーを、まだ冷たくて新鮮な早朝に摘む。冷蔵庫に入れた翌日には、見た目も香りもすでに低下している。そこで私は摘むとすぐさまそれをクーラーに入れ、最長でも2、3時間内に客に届けます。これは長距離ではもちません。だから私の競争相手は、同じエリアの生産者だけです。

 時々私は、けっして快適ではない気候の中で、長時間労働をしたり、収穫時期には列をなす客相手に奮闘している自分に気付きます。しかし一日の最後には、地域の食料として質の良い生産品を提供できていることに、深く満足します。そしていつの日か、私たちに孫ができたら、この小さな郊外の農園を孫たちと散策しながら、自然のすごさを教え、新鮮で健康的な食べ物を生産できたらよいなと思っています。

 

 

マイケル・ブラウンはフルタイムの学校司書としてニュージャージ州の中心で働いている。彼の小さな裏庭の農園、ピッツポン・ファーム (www.PitsponeFarm.com) は、ベリーとベリーの木を専門に生産している。

 

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How I Started a Small Suburban Farm

By Michael Brown |  August/September 2017