持続可能性革命の 言葉の気遣い

マザーアースニューズ族の仲間は、地球の世話人としての長く輝かしく名高い評判がある。私はベトナム戦争、ヒッピー運動、ウォーターゲイト事件の間ずっと、雑誌とともに育った。その期間中、私たちの種族は政治上2党制、宗教的には多様だった。いつも熱烈に同意してきた一つのことは、この惑星の世話をする責任だ。私たちは、呼吸できる空気、健康な土壌、飲料に適した豊富な水に対して深い責任感を感じる。公的、私的な利害が、私たち皆が依存しているこれらの貴重な資源を冒涜し略奪し攻撃する時、個人的に暴行された気がする。

翻訳:金広 まさみ

 

 何年もの間、私たちの種族は自然環境保護、自立、持続可能性についての見解を促進し説明するための語彙を発達させてきた。100%グラスフェッド牛肉、囲いなしの鶏、放牧の豚肉、 

USDA有機栽培野菜と、その他諸々のために戦ってきた。しかし今日影響力のある利害が言葉の意味を変えるよう迫っている。ところで皆さん、意思疎通はこれらの煌めく言葉を保つことにかかっている。ちょうど土壌のように言葉は育てられる必要がある。

 

持続可能食品の言葉を定義して守る

 どんな食品のリコールにも注意を払おう。そうすると、かなり多くのブランド名が同じ加工工場から出て来ているのがわかるだろう。食品産業界は権力の集中化を続けているので、製品とブランド名の均質性は増大するばかりだ。特定の語彙を見つけ使うことは私たち種族にとって、ますます重要になるだろう。私たちの言葉を知り、所持し定義し、守る必要がある。

 私たちの運動の典型的な公約は、合成肥料の代わりにコンポストのような有機肥料を使い、作物に根覆いし、保護し、除草剤の使用を避けるため雑草を除くことだ。賢い人々が生態学的語彙を与えてくれたことに感謝しなければならない。健康な土壌中の微生物間の複雑な関係を述べたエレイン・インガム (Elaine Ingham) の「土壌食物網 (soil food web) 」という贈り物について考えてみよう。そのような示唆的な表現は、単純な化学物質押し付け人を押し留め、配慮を要求する。

 しかし1942年にJ. I.ロデール (J. I. Rodale) が初めて、その名称を大衆化して以来「有機」という言葉に何が起きてきたか見てみよう。その言葉は今、産業界と政府に所有され、あらゆる疑問の余地のあるニュアンスが有機の名で与えられる。家禽では例えば、アメリカ合衆国農務省(USDA) の有機認証は草地などの戸外環境へ出すことを要求しているが、大きな注意として:もし荒れ模様の天気か鳥の健康が問題なら、戸外へ出すのはもはや必須ではない。コーヌコピア研究所 (Cornucopia Institute) の産業規模の有機家禽農場の航空写真が、認可された大手による甚だしい基準軽視を示す。USDAはこの不適合を少しも気にかけない。何人のアメリカ人がウォルマートで法律を馬鹿にする者の卵を買い、本当に食風景を変えていると思うか?

 一方では、規範に忠実で誠意ある我らが農民は長い間、工場農場のUSDA認証有機卵より良い平飼いの卵を生産している。しかし余裕がなく許可を得ることができない。これが、私が平飼いの鶏の健康に良い卵を説明するのに「有機を超えて」という言葉を使うのが好きな理由だ。コーヌコピア研究所のような組織の仕事を援助し、彼らから学び、世話という語彙の次世代版を育む時、次の世代のために本来の言葉の意味を守っている。

 

人道的とはいつも放し飼いを意味する

 私はまた家禽生産者が使う「free-range(平飼い)」のラベルが気がかりだ。平飼いの鶏は緑の草の上に出ている鶏のイメージを思い起こさせる — 

引っ掻いてついばんで、植物や虫を食べ、鶏らしさをが現れている。しかしながら公式のUSDAの定義は単に「家禽は戸外にでることを許されている」ということだ。鶏は少し外に出る時があれば(コンクリートの上でさえ)、いつもは閉じ込められていても平飼いに分類され得る。

 私は今「pastured poultry(放牧家禽)」という言い回しを使うのを好む。「放牧家禽」は、より明確な言葉を提供するだけでなく、平飼い家禽は放牧地で何もすることがないと信じている人々に異議を唱えることで可能性の限界に挑むのだ。鶏の鶏らしさを尊重するのに要ることは何でもすることで、基本的に親切で思いやりのあることをしている。

 

グラスフェッド牛肉闘争

 「グラスフェッド【牧草肥育】」牛肉ラベルは、残念なことに、食品戦争の最近の小競り合いだ。「グラスフェッド」はUSDAの言い回しを規制緩和するという決定のおかげで、ほとんど何も意味しない。あらゆるグレインフェッド【穀物飼料肥育】肥育場団体が、少しも草を食べてなくてもその牛肉を「グラスフェッド」と呼ぶのを目の当たりにしている。これは当然のことだが消費者を混乱させる。

 食通とオルタナティブな農家が数10年前に「グラスフェッド」を使い始めた時、草食動物を、もっぱら草をベースにした飼料を食べるものと、どんな穀類でも食べるものとに区別する意味だった。これはニッチな市場を作りあげ、多くの会話の中で論点として役に立っただけだった。

 国立持続可能な農業連合 (National Sustainable Agriculture Coalition) のような多くのグループがUSDAに「グラスフェッド」ラベルを規制するよう求めて呼びかけている間に、私は新しい言葉を求めて呼びかけている。持続可能な牧場経営についての会話を再刺激し、農家を元気づけ、私たちが何故しているか、他の人たちがしていることとどう違うのか人々を教育するために、私は「サラダバー・ビーフ」という言い回しを生み出した。私たちは100%の時間草を食べさせるだけでなく、牛をすばらしい牧草地に置き、より健康な家畜、牧草地を得、そして結果として肉をたべる人をより健康にする。

 最終的に工業的食品複合体は、「安全な」という言葉が事実に基づくと人々に信じてもらいたがっているが、そうではない。何をもって安全?今日の正統とされる考えでは、安全を判定するのに致死量という考えを使う。言い換えれば、何かがあなたを直ぐに殺さなければ、大丈夫だということだ。

 安全は無菌を意味するようになったが、食物が無菌のはずがない。食物は微生物(生命!)でいっぱいなものだ。―産業界の基準によれば、コカ・コーラは安全だが生乳やバターは安全でない。けれど、毎日コップ1杯コカ・コーラを飲むことは、コップ1杯良い生乳を飲むより安全でないと言いたい。チューブから絞り出して1年間カビの生えないチーズまがいの物質が、カビが生えて2、3日でテーブルから消えるチーズより安全か?

 

ラベルを超えて

 皆さん、私たちの運動はいつもラベル以上のものについてだった。人々は私たちにラベルを貼れないし、私たちがしていることにラベルを貼れない。なぜなら生命と、その壮麗さを述べるのに使われる言葉は、本来自発的だからだ。意味はしかしながら変わらないままだ。私たちは地球の世話人で、鶏の鶏らしさ、豚の豚らしさ、農場の内外での健康な生態系を絶え間なく尊重し、そのために戦う。

 産業の正統とされる考えでは、混同させ品質を落とそうとするので、私たちは用語集を守り、管理することを引き受けなければならない。私たちは皆「持続可能性の用語集 (Lexicon of Sustainability) 」という事業でダグラス・ゲイトン (Douglas Gayeton) に恩義がある。それは主要語を定義し純粋に保っている。地球を世話する責任を取り入れたやり方で、言葉の責任を取り入れることを希望する。この2つのお役目は分けられないし、等しく重要だ。さあ、出てきて有意義な会話をしよう — ただし使う言葉を意識して。

 

たのしい暮らしをつくる

マザーアースニューズ

購読登録はこちらからどうぞ

 

Grass-fed Beef, Free-Range Chicken, and USDA Organic: Language and the Sustainable Revolution

By Joel Salatin 

October/November 2016