記憶、現実、適応

菜園の野菜の恵みから、家族の 新鮮な食べ物を得られ、保存と 共有する分もいくらか残ります。 Photo by Adobe Stock/Anchasa 

 

 私が子供だった頃、私が覚えている限りだけでも、野菜の庭(そう、私が嫌っていた草取りをする庭)からは、常に有り余るほどの恵みを得られるように見えました。冬のスカッシュ、トマト、ピーマン、ナス、ズッキーニの何であれ、常に豊富にあり、食べて、まとめて、セラーに詰め込んでいました。果樹園からはあまり保存しておらず、リンゴをブッシェル [27kg] で購入し、近隣の樹木から野生のリンゴを集めました。うちの家族は、もっと専門的な地元の生産者から、ジャガイモとタマネギを一括して購入する傾向がありました。私たちのスイートコーンも同様なやり方で手に入れていました。しかし、私の道のりの始め、こう言った季節について最も覚えているのは、圧倒的な恵みです。

 私自身の冒険に着手した当初でも、私の菜園は放棄するほどあふれていました。家族に新鮮な食べ物を食べさせ、冬のためにいくらか保存して、しかもおすそ分けするのに十分なだけの量を上回っていました。私を育てた伝統的な作物に加えて、ビーツ、カブ、タマネギ、ニンニク、ジャガイモなど、果樹園の果物や、私が大好きな根菜類をたくさん追加しました。それらの北プレーンズの土壌に私が植えようとしているものはほぼどれでも、何かが破裂するかのようでした。害虫や真菌のために殺虫剤を噴きつけねばならないという事態は、私には決して起こりませんでした。そして、雪の前に毎秋腐った羊の寝わらを数トンをすき込む以外に、肥料を与えることは決してありませんでした。

 時間が経つにつれて、私の家は一世帯に縮小し、その後二世帯に戻りました。私はまだ菜園をしていましたが、かつてほど忙しいようなことは二度とありませんでした。奇妙なことに、天気や害虫や土壌構造が明らかに私の努力に反して働いているように、生産性は低下するように見えました。これが私の堆肥だったのだろうか?州何個か分南に行った新しい場所だったのだろうか?都合の良いことだけ記憶していたのだろうか?南部の場所に私流の北部の園芸パラメータを押し通そうとしていただけなのか?私はそれ以外ないのではと疑っています。

 カンザスでの11年間の後の私の現実は、冬のスカッシュを夢見るだけでなく、オクラ、タマネギ、ジャガイモ、小さくても美味しいトマト、そして豊かな唐辛子にわくわくしています。豆類は打撃を受けて不出来ですが、問題ありません。とにかく育ててはいるのです。トウモロコシは朝飯前で、栽培時季の初めと終わりの野菜もそうです。今年も植えてみたバジルでは、昨年経験したカビの様子はほとんどなく、大量の作物が採れました。そして、ミツバチは私たちの大きく多様なヒマワリの区画が大好きです。

 あなたが記憶にある現実の菜園の台帳と釣り合いを取ろうとしたことや、人生があなたに課した課題に対して栽培方法を大幅に適応させる必要がある立場にいると気づいたことがあれば、その努力について聞いてみたいと思います。お気軽に HWill@MotherEarthNews.com まで電子メールを送ってください。この先の号にあなたの話をいくらか掲載できるかもしれません。

 また12月にお会いしましょう。

—  ハンク

翻訳:沓名 輝政

 

たのしい暮らしをつくるマザーアースニューズ

購読登録はこちらからどうぞ

 

Memories, Realities, and Garden Adaptation

By Oscar H. Will III|  October/November 2018